titleimage005

作家、スポーツライターとして活躍される傍ら、中学生野球チームの監督も務められている小林さん。
文武両道のルーツは、投手として前新潟明訓高校監督の佐藤和也さんとバッテリーを組んで新潟県大会優勝の実績もある高校時代。

この度は、ご多忙の合間に快くインタビューに応じて下さいました。

卒業年度は?
昭和50年の卒業です。
現在のお仕事は?
作家・スポーツライター。
ラジオのコメンテーター。
大学教授。
ボランティアで、東京武蔵野シニア(中学生の硬式野球チーム)を設立し、監督を務めています。
仕事で、困難にあたったことはありますか?
いままさに、困難にあたっています(苦笑)。
ある仕事で、パワハラを受けて苦しんでいます。体験してつくづくわかりました。
仕事先で執拗なイジメに遭うのは、ホントに辛いものですね。

十年近く前から東京電力の仕事(社内インターネットサイトの企画・運営)を受託していたのですが、中越
沖地震で予算を大幅に削減され、東日本大震災で完全にその仕事がゼロになりました。事務所の主要業務でしたから、相当な打撃を受けました。

著書をいちばん多く出してもらっていた出版社が倒産。数年間、本の出版が途切れたのも厳しかったですね。

こうやって書いてみると、仕事の面では困難の連続ですね。
僕らの仕事は、雑誌の連載もレギュラー番組も、廃刊や番組自体の打ち切りで、あっさり仕事がなくなります。当てにしていた基本収入が突然、ガクッと減るのは日常茶飯事です。

その困難を克服するために行ったことがありましたら、可能な範囲で教えてください。
「雪国に生まれ育って良かったな」と、つくづく感じます。幾多の厳しい状況に追い込まれてもへこたれないは、「長岡で育った粘り強さがあるからだ」と感じます。自分の粘り強さ、負けじ魂はそうとしか説明できない気がします。
十年ちょっと前からは、武術家の宇城憲治先生に師事を許され、勉強と実践を重ねています。600年の伝統を重ねた武術は、人間の心技体の潜在力を究極的に発揮する道標を持っています。武術との出会いは私の人生の大きな変革になりました。この歳になって、まだひと旗上がらないのに、未来に希望を感じて生きていられるのはそのおかげです。
大切にしているものや事は、何でしょうか。
真心。正義。義理と人情。
家族、友人。
直感。
長岡高校を卒業して、よかったことはありますか?
いろいろな困難に直面していますが、そのたびに、長岡高校野球部の先輩、同期、後輩たちに支えてもらうことがしばしばあります。卒業以来ずっと長岡では生活していない、ほとんど東京にいるのに、これほど長高のOBたちと交流し、支援してもらっている人間も少ないのではないかと思うほど、長高の人間関係に支えられています。

東京武蔵野シニアを設立するときも、長岡シニアの中心になっている先輩や同期に資料を見せてもらったり、助言をもらいました。毎年、長岡カップ(親善大会)に出場させてもらい、夏合宿も朝日山球場をお借りしています。

長岡高校関係者で、尊敬する人はいらっしゃいますか?
永井康夫先輩(日本精機元副会長)、三上賢作先輩(元米八寿司)、平澤修先輩(朝日酒造会長)をはじめとする野球部の諸先輩。長岡の野球界を陰で支えている同期の渋谷順造君(YZY)にも頭が下がります。
ヨネックス社長の米山勉君は長高の同期、硬式テニス部でした。米山君もそうですし、ここに名前を挙げた方々はみな立派に成功されているのに、本当に質素な生き方をされ、華美に飾るところがありません。剛健質朴。長高の気風そのもので、本当に頭が下がります。欲や虚栄に心を浮つかせるのでなく、使命を担い、「公」に人生を捧げる厳しさが身に付いておられます。
いまの世の中で「成功する」とは「お金持ちになる」「有名になる」と勘違いされがちですが、長岡が輩出した“人物”はいずれもそんな低次元を超越しています。

恩師の柴山勲先生(野球部監督)にはずっと反発し続けていました。それほど大きな存在だったということです。いまもしばしばご一緒させてもらっています。

国語の授業を受けた、吉岡又司先生には影響を受けました。
スポーツの感動を単純に表現することを授業でしばしばバカにしておられました。そのときはただ笑って聞いていましたが、自分がスポーツライターになって、吉岡先生にバカにされない深さを描きたいとずっと戦い続けています。まだ果たせていません。

美術の佐竹先生にも影響を受けました。いい加減に作って提出した“飛び出す絵本”を見て、
「信也は優等生で、勧善懲悪だからな」、と冷笑されたシーンをいまも明確に覚えています。薄っぺらい優越感、思い上がりを叩き割られました。その言葉も、僕が文章を表現する上での出発点になっています。

現代国語の鈴木先生に、大学受験前、小論文の指導を仰ぎました。ありきたりの指導をされるだろうと実は高をくくっていたのですが、授業とは違って、鋭い批評で僕の文章のつまらなさ(白々しい正論の底の浅さ)を指摘してくださいました。「文章を書くのは、そんなつまらない正論をなぞるためでなく、もっと激しいものだ」と。正直驚きました。先生の内側にそれほど熱い情念と文章への意志があると知らされ、「大人を侮ってはいけない」「文学を志す人は潜在的にすごくたくさんいるのだ」といった現実にも気づかされました。先生のその言葉がきっかけで、自分が「なぜ物書きになりたい」と不意に思ったのか、「文章を書いて活きる」ことへの目覚めを感じたように思います。

思い起こせば、実は、僕の作家活動の土台になっている基本姿勢の大半は、長高の先生方から授業を通して受けた指導です。

これだけは、誰にも負けないと思っていることがありましたら、お聞かせください。
どんなに厳しい状況に追い込まれても、お金儲けを最優先しない、「お金より大事なものを追求し続ける姿勢」でしょうか。
子どもたちの未来のために、なんとか世の中の流れを変えて死んでいきたいと、その気持ちは強い方だと思います。
社会人としては、「だから失格だ」と言われる場合も多々ありますが、作家は、「霞を食ってでも生き、お金がなくても意志を貫き、社会に正義を発信し続け、行動する人間」です。現代においては、売れる作家が尊敬、礼賛される風潮が強いですが、私は時代遅れでもいい、本来の使命を全うしたい、その気概は負けないかもしれません。

あとは「有名にならない天才だ」とひそかに思っています。それなりにテレビに出たり、本もたくさん出しましたが、まったく有名ではありません(苦笑)。それはありがたいことで、思い上がる心配もない、有名だからゆえに意識したり、束縛されることもありません。これは案外、現代においては得難い才能だと感じています。若い頃は、世間に認められたくて仕方がなかったので、そんな自分の運命を恨んでいましたが、いまは感謝しています。

t_005小林 信也(こばやし のぶや)
作家、スポーツライター。
現在は、武蔵野シニアの監督業を活動の中心として、ラジオコメンテーターとしての出演も多い。
他大学教授も勤めるなど、活躍の場は幅広い。
主な著書に、『高校野球が危ない!』、『子どもにスポーツをさせるな (中公新書ラクレ) 』がある。